40のハディース
イマーム・アンナワウィー 編
黒田壽郞 訳
Original : An-Nawawi's Forty Hadith
English Translation by : Dr. Ezzedin Ibrahim, Denys Johnson-Daves
イマーム・アンナワウィー 編
黒田壽郞 訳
Original : An-Nawawi's Forty Hadith
English Translation by : Dr. Ezzedin Ibrahim, Denys Johnson-Daves
訳者の序文
歴
史的、文化的にみて、日本とイスラーム世界はほとんど没交渉であったといっても決して過言ではない。交渉が始められたのは最近のことであり、それも不幸に
してもっぱら経済的なものに終始しているのが現状である。研究の領域においても、近来真撃な研究者たちの多方面にわたる成果が徐々に発表されつつあるが、
研究の伝統の浅いわが国においては、いまなお基本的な文献の研究、紹介が不可欠な段階にあるといえる。
イスラーム世界の根幹をなす宗教イスラームそれ自体についても事情は同様である。イスラームの第1
の基礎はもちろん『聖クルアーン』である。幸いにしてこれにはすでにいくつかの翻訳があるため、一般の読者にも原典にあたることが容易になった。しかし言
語的にもまったく異なったアラビア語で、預言者ムハンマドを介して啓示されたこの聖典は、異質の発想、奇異な表現を多く含んでおり、環境、発想を異にする
日本人には、適当な注釈書なしにはなかなか理解しにくい。このような努力は、残念ながらこれまで少しも払われなかったのである。『クルアーン』以外にもイ
スラームにはその礎となり、その聖典理解の鍵ともなる預言者ムハンマドの言行を記した伝承(hadith)があるが、厖大な量にのぼる預言者の言行録も、
これまでほとんど紹介の労がとられていない。このような事情が、わが国においてイスラーム理解の大きな障害となっているのは否めない事実である。
千数百年前、日本でいえば聖徳太子の時代に啓示された『クルアーン』を基幹とするイスラームという宗教が破竹の勢いで中東地域を中心に広がり、今なお7
億あまりの人々に信奉されている秘密は一体何であろうか。ムスリムが多数を占めるイスラーム世界において、イスラームはたんにわれわれの理解するかぎりで
の宗教にとどまらず、あらゆる分野における知的活動の発想の根元ともなっているのである。イスラーム精神の現代の状況への適用という点では、意見に相違が
見られるものの、その源であるイスラームにたいして、人々は確固とした忠誠心を持ちつづけているのである。この秘密を知るにはとにかく原典にあたるしかな
い。『クルアーン』の翻訳がすでに存在する今、さしあたり必要なのは、単に宗教的な側面ばかりでなく、社会的・文化的・道徳的といったすべての側面を包含
するイスラームという宗教の本質を端的に指示し、説明するような原典の翻訳であろう。このような観点からすると、同じ趣旨に基づき編まれたアンナワウィー
の『40の伝承集』の翻訳は、時宜にかなったものといいうるのである。
こ
こで伝承と訳されたハディースは、アッラーから啓示『クルアーン』を下された預言者ムハンマドの言行を伝えた記録である。この類いまれな、世に容れられた
預言者は、そのイスラームに関する深く正しい理解に基づいて、『クルアーン』の精神を日々の言動のうちに見事に結晶させている。このような観点からムスリ
ムは、アッラー自身の言葉である『クルアーン』の内容に厳密に従うと同時に、その精神の正しい具体化といえる預言者ムハンマドにまつわる伝承の内容に従う
ことを要請されているのである。ちなみにこの伝承の内容は、信者により「踏み従われるべき道」という意味で、アラビア語ではスンナ (sunnah) と呼ばれており、本書においては簡単に「言行」と訳されている。信者たる者がこの言行に従うべき根拠としては、『クルアーン』が次のように指摘している。
『使徒があなたがたに与えるものはこれを受け、あなたがたに禁じるものは、避けなさい。』(第59章7節)
お
りにふれて信者たちに示された預言者の言行は、聖典『クルアーン』の精神の適切な具体化として、簡明にして強い説得力を持つものであった。それは信者たち
にとりやや難解な『クルアーン』を真に理解するための鍵となったのである。先にあげたような理由から、イスラームにおいては伝承のかたちで後代まで伝えら
れた言行は、『クルアーン』を補足する位置にある。したがって伝承に関する正しい理解は、ムスリムが自らの信仰を完成するために必須のものであると同時
に、一般識者がイスラームならびにイスラーム世界に正しい認識をもつ上で、必要不可欠のことなのである。
イ
スラームにとり基本的な資料である伝承研究は、イスラーム学の中で一専攻科をなしており、その蒐録にあたっては、古来それ以上期待しえないほどの厳密な配
慮がなされてきた。口伝的な性格をもつものは、えてして伝承者の恣意により勝手な改竄が行なわれる可能性が強い。しかし学者たちは本文(matn)
の前に必ず長い伝承の鎖(sanad)を付し、本文の内容がイスラームの精神に合致するものか否か、伝承の鎖が完全か、個々の伝承者に人格的な欠陥はない
か等々の問題を多くの角度から検討して、一々の伝承の信憑度を定めている。これまで個人の言行に関してこれほど厳密な研究がなされた例を知らないが、本書
に引かれた諸伝承はとりわけ信憑性の高いものであり、疑念の余地をさしはさみえない。
先
にも述べたように、預言者の伝承集成は厖大な量にのぼっている。アルブハーリー、ムスリム等の碩学が生涯をかけて蒐集した伝承集成には多種あるが、ここで
は煩を避けて言及を控えておくことにする。とまれ浩翰なこれらの集成は、決して一般の人々が読み進める点で便利なものではない。したがって原著者が序論で
指摘しているように、多くの学者たちが小冊子の伝承集を編んでいるが、僅かな伝承をもとにイスラームの総合的な理解を意図した本書は、さしあたり格好の翻
訳の対象といえよう。ちなみに本書の著者はイマーム・ヤフヤー・イブン・シャラフッディーン・アンナワウィーで、ヒジュラ暦676
年に他界している。13世紀に編まれたこの伝承集は、その簡明にして綜合的な性格のゆえに、以後ひろくイスラーム世界で愛読されつづけている。本書は
1976年にI・イブラーヒーム・D・ジョンソン=ディヴィス両訳者の手によりダマスカスから英訳が出版されているが、翻訳、註の点でこの訳書を活用した
ことを付記しておく。
最後に翻訳の技術的側面に関して若干付記する。翻訳にあたっては、なるべく原義に沿うように努めたが、それが不可能な場合、カギカッコで補足した。
なお、註は煩雑を避けるため最小限にとどめた。またイーマーン、イフサーン等適当な訳語が見つからず、原語がイスラームのキイ・タームとして重要なものである場合、アラビア語をそのまま転記するにとどめた。
本訳書が正しいイスラーム理解のための一助となれば望外の幸せである。
黒田 壽郎